主夫の料理の極意は「高田純次並みの超適当」がいい

主夫の料理の極意は「高田純次並みの超適当」がいい。主夫の意見として「料理に込める愛情ってなに?」

主夫の意見として「料理に込める愛情ってなに?」

 

昔から「料理は愛情を込めると美味しい」とか「栄養があっても愛がない料理はダメ」なんていわれて、女性の主婦の皆さんもさぞ大変だったと思います。

主婦や主夫をやっていると、料理をつくるという行為はほぼ毎日の事です。

しかも休日ともなれば、奥さんや子供も含め毎食作る必要もありますし、子供が中高校生くらいなら、平日はお弁当も作らなくてはいけないかもしれません。

その度にいちいち渾身の愛情を込めて手の込んだ豪華な料理をつくることが本当に愛ある料理になるのでしょうか?

世の中の多くの方々は、「手の込んだ料理」=「愛情あふれる料理」と勘違いしている節があります。

例えば、野球選手のイチローの奥さんだとしたら、彼に「もっと栄養価の高いものがいいから」と愛情をもって品数たっぷりの食事を出したとしても、きっとカレーが食べたいと言うでしょう。

つまりこの場合、イチローには毎日同じカレーを出してあげるのが愛あることなんだと思います。

作り手としては「温めるだけでいいんだから超楽チン」で渾身の何かを込めた感などなくても、毎日同じ味になっているか?が重要であって、必ずしも豪華絢爛である必要はないんです。

つまり作り手が「渾身の愛情」を込めた感がある料理よりも、食べる側が笑顔で喜ぶ料理の方が結果的に評価の高い料理になっちゃうことがままあります。

 

主夫料理で重要なことは家族が喜ぶこと

 

専業主夫Kさんの料理に込める愛情とは何か

ここで、毎日料理をしている現役主夫のKさんに話を聞いてみました。彼に上記のような話をしたところ、

そうですね~、僕なんかはこの前、休日の昼食にうどんを作ったんですけど、あまりのやる気の無さにかなり適当に作ってましたね。

だいたい休日のお昼ですからね、夕食ならまだしも、休日の昼食に毎回手の込んだ料理なんて作っていられませんよ!(笑)

平日の家事が終わって、ちょっと疲れて休みたい土日は手抜きをするに限りますね~

よく、家庭料理に愛情が必要だと言われていますが、ここでいう愛情って一体なんでしょうか?

『料理は愛情(手をかけること)』と固定観念的に思っている方々はまだ一定数いて、手の込んだ料理じゃないと愛情が無いと思っている人が残念ながら未だにいるようです。

この勢力は、だいたい実際に料理をあまり作ったことが無い人に多いように感じますね。

主夫とか主婦の人は毎日料理を作ると実感しますが、家族が食べてくれる料理、子供に好評な料理に手抜きかどうかは実はあまり関係がありません。

例えばうどんをつくる時も、材料は冷蔵庫にたまたま残っていたうどんに合いそうなもの(人参・白菜・玉ねぎ・冷凍肉団子)を適当に入れて、味付けも「醤油・砂糖・だし・ショウガ・すりおろしにんにく」を全て目分量。

醤油・砂糖をメインに味付けし、だしを少々、ショウガ、にんにくは単なる思い付き。

この適当な感じで鼻歌を歌いながら作っても、家族は美味しいって言って満足して食べてくれます。

僕は家庭で作る料理はこれくらいでいいと思っています。

料理は愛情か?

そんなに気負わなくても、家庭料理は深く考える必要は無くて、もっと気軽に簡単でいいと思います。

大事なのは「家族が喜ぶか」どうかの一点だけであり、「どれだけ手をかけたか」ではないんだと思います。

料理の品数も多い方がいいとされていますが、、一日食材30種類食べなさいとか。

そんな毎回用意してられませんよね。(笑)

野菜だって、年や季節によってはかなり高額になりますし。

別に品数が多ければ良いというわけではないと思います。

副菜なんて1品でいいし、パスタならパスタだけでいい。

それに、そんな毎日栄養満点にする必要も無い。

なぜなら多くても食べきれなければ意味は無いから。

それに、子供は意外と食べないし、あれこれ栄養を考え始めると品数が増え、そうなると結局子供は残す。

子供が思ったほど食べないなんて言うのは子育て中にはよくあることです。

栄養をあれこれ考えて疲れちゃうよりも、子供が好きなものを出し完食させる方が結果的に栄養面でも効率がいい。

子供には親が勝手に考えてる「1日の必要な栄養素」とか「これを食べさせたい」とかはまるで関係ない。

子供っていうのは美味しくて好きなものは完食するし、栄養価が高くても残すときは残す。

主夫になりたての頃は、毎日毎日「今日の夕飯は何にするか?」をひたすら来る日も来る日も考えていたんですよ。

そういうものだと思っていたから。

でもある時疲れ果てて「こんなこと、毎日毎日やってられるかー!」と逆ギレして(笑)超手抜きな夕飯にしたことがあったんです。

それは、ただレトルトのソースを上からかけただけのパスタです。

そうしたら、それまで考えに考えていた料理と皆の反応に変わりは無いし、子供はぺろりと完食したんです。

家族のその様子を見た時しみじみ思ったんですよ。

料理って面倒なことしなくても家族は喜ぶんだなあ」って実感した。

この時はある意味衝撃でしたね。

今まで毎日疲れ切るまで考えていたのは何だったのかって。

そこから自分は時短料理や簡単料理に思いっきり舵を切った。

家庭料理は適当でいい』(もちろん、どんな料理にも愛情は込める!)

これが僕が行き着いた結論です。

 

主夫が料理に愛情を込める秘訣

Kさんの経験から導きだされた意見を聞いてみると、料理は適当に作るが「家族が喜ぶ」というところに気持ちをフォーカスしていることに気付かされます。

以前聞いたことがある話なんですが、夫のことが嫌いで嫌いで仕方がない妻が嫌々ながら夫の食事をつくると食事が本当に不味くなるということらしいです。

これって愛情の逆のものを「込めた」ことになるんでしょうね。

逆にいえばKさんのように「家族が喜ぶ顔がみたい」ということ自体が家族が大好きな証拠で、大好きな人たちにつくること自体が実は自然と愛情が「込もる」ことになるのではないでしょうか。

愛情というのを「大切にしたいという感情」と定義することもあります。

ですから料理に愛情を込めるということは、手の込んだ豪華な料理をつくるというよりは、大前提として「家族を大切に思っている」とか「妻や子供のことが大好き」という感情が大事であって、そこから始まると簡単な料理でも手の込んだ料理でも、どちらも主夫の個性が表現された愛情たっぷりの料理になるのではないでしょうか。

冒頭のタイトルの「高田純次さん」も適当男を自称していますけど、画面に彼が登場すると彼が言葉を発してやることなすこと思わず笑ってしまいますよね。

これって完全に視聴者を喜ばせてしまっていると思うんですよ。

これこそが「適当の極意」なんではないかと思います。

適当とは、辞書で調べると、「ある性質・状態・要求などに、ちょうどよく合うこと。ふさわしいこと。」と出てきます。

妻や子供を完全に理解することは出来ないかもしれません。

しかし大好きでいることで、よーく観察するようになり、彼らのニーズを的確に把握できるようになり、結果として家族が喜ぶ美味しい料理をつくれるようになるのだと思います。

ということで結論としては、毎日献立などで悶々と悩み疲れ果てるよりは、妻が大好き子供が大好きという気持ちがあれば、放っておいても本当の意味で「適正な料理」がつくれるようになるということで締めくくりたいと思います。

もちろん料理に限らず、家事全般については、常に創意工夫は大事ですけどね!