主夫になった理由は人それぞれ!そこに展開する人生ドラマ!

主夫になった理由は人それぞれ!そこに展開する人生ドラマ!

世間の偏見の目を乗り越えて主夫になった人々

 

日本では、妻の扶養に入っている夫、つまり主夫の方々が11万人以上いると発表されていますが、その主夫の皆さんは結婚当初は当然普通に働きに出て一家の大黒柱であったわけですが、何らかの事情で主夫とならざるをえなかった方々が大多数であると思います。

病気が原因で退社した方、会社が倒産して再就職が難しかった方、リストラに遭われた方、その他それぞれのご事情があったと思います。

しかし、そんな事情とは裏腹に主夫に対する世間の目というのはそうそう優しいものではないというのが現実です。

表面上は「大変ですね」と同情していても、内心は「男なのに情けない」とか「恥ずかしくないのか」などと思われている場合も少なくないでしょう。

そんな世間の偏見の目がある中で、主夫道を貫いている人々も数多くいます。

いったい彼らはどんなきっかけで主夫となり、どんな困難を乗り越え頑張っているのでしょうか。

今回は、とある主夫の方を紹介いたします。

 

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バリバリ仕事人間から一転して主夫になったSさん

(引用元 働く女のワーク&ライフマガジン WOMAN TYPE)

Sさんは20代の頃はまさに仕事一色の毎日だった。

敏腕システムエンジニアとして一部上場企業を渡り歩き、手腕を買われ重要なプロジェクトをいくつも手掛けた。

30歳で結婚を決意した。

その後管理職にも昇格し、何不自由なく理想的な順風満帆なキャリアが開けていくはずだった。

しかし、結婚してまだまもない頃に、サルコイドーシスという原因不明の難病が発覚。

全身のあらゆる臓器に異常が表れはじめ、呼吸困難をはじめ、さまざまな症状に苦しめられた。

Sさんは当時を振り返りこう話しました。

「仕事を辞めざるを得なくなり、妻には離婚を申し出ました。彼女はまだ23歳でした。そんな若い女の子に働くこともできない病気を抱えた夫の一生を背負わせるなんてできませんから」

だが、そんなSさんの申し出を、なんと妻は一刀両断してこう言い放った。

「私が稼いでくる。だからあなたは家事をしてちょうだい」と妻は宣言した。

しかし時は1990年代後半、まだダイバーシティは浸透しておらず、イクメンという言葉も登場していない時代だった。

そんな男女逆転のスタイルにやはり世間の目は厳しかった。

「近所の人に『私、主夫なんです』と言ったら『ごくつぶし』と言われたこともある。

初めのころは周りの目が気になって、買い物に行くときはもちろんのこと、家で洗い物をしているときでさえスーツを着ていました(笑)」

その頃、Sさんは頭髪をなんと金髪に染めた。

金髪にこめられた決意は「妻のキャリアアップに全てを懸ける」

妻におんぶに抱っこではいられないと思い、何とか自分でも収入を得ようと、自作のコンピュータゲームを販売していた時期もあった。

しかし、体調は芳しくなく、週に3日は寝込むような日々もあったりした。

大黒柱として家計を支えるには、あまりに厳しい状況だった。

一方で妻の仕事は順調そのものだった。

結婚を機にフリーのグラフィックデザイナーとして活動を開始した妻は、毎年着実に年収を上げ続けていた。

そんな妻の活躍をそばで見守ってきたSさんは、結婚3年目にして大きな決断をする。

「これからは専業主夫として家を守り、妻をサポートすることに徹しようと心に決めたんです。その証として、髪を金髪に染めました。それまではずっとどこかで社会に戻りたいという気持ちがあったんです。でも、そこまですればもう戻れないでしょう。要は開き直ったわけです。金髪になった自分を鏡で見て、心の中で『自分は主夫なんだ!』と宣言しました」

その日からは、人から仕事を尋ねられても「主夫です」と堂々と胸を張った。

順調にキャリアアップを果たしていく同世代の人たちの存在も一切気にならなくなった。

組織のしがらみから離れ、利害がなくなってみると以前の付き合いは自然と途絶えた。

わずらわしい人間関係を気に病む必要はまったくなくなった。

常に自分が考えるのは、自分の健康と妻のことだけ。

一番の自慢は、この18年、妻が大きな病気をしなかったこと。

主夫として働く妻をおいしい料理で迎え、家計のやりくりに頭をフル回転させた。

「一番うれしいのは、毎年の確定申告でした。奥さんの年収が毎年どんどんアップしていくのが喜びでした」

そして結婚15年目についに待望の長男が誕生した。

きっかけは、持病の快癒。

もともと子ども好きだったSさんは、出産に対しては消極的だった妻を2年がかりで説得して、3カ月の妊活を経て子宝を授かった。

子育ては、もちろんSさんが引き受ける。

フリーランスである妻は、産前産後は仕事ができない。

しかし2カ月で職場復帰できるようSさんは、女性の体のメカニズムについて徹底的に調べ上げ、万全のサポートを果たした。

まさに「内助の功」を地でいくような専業主夫のSさん。

だが、世の中の「仕事がつらいから、会社を辞めて専業主婦(主夫)になりたい」という安易な願望には警鐘を鳴らす。

「専業主婦(主夫)になったら、今度は家庭での仕事が始まります。1日平均18時間労働で、残業代も出ない。まさにある意味ブラック企業です」

Sさんは「パートナーと自分の“ライフパズル”を話し合うことが大事」と続ける。

「決められた枠の中でピースをはめるパズルのように、仕事や家事、育児、趣味や地域活動など、いろいろなピースを自分の人生という枠の中に当てはめていく。そして、それぞれのピースの大きさを共有し、仕事や家事をどのくらいやりたいのかを話し合って、お金を稼ぐ仕事と家庭の仕事を夫婦2人で担う、家庭に“兼業主婦(主夫)”が2人いる状態を目指すべきです。男は『女性が家事をやって当たり前』『子どもを産んで当たり前』と思っている生き物ですから、
伝えなければいつまで経っても働く女性の負担は大きいまま。女性の皆さんにはぜひ意思表示をしてほしいと思います。」

実際にSさんの家庭でも、家事の2割は奥さんが担当している。

Sさんも今では積極的に講演活動などを行い、実質的には兼業主夫として社会との関わりを持っている。

「ピースの大きさは人それぞれ。仕事が50%という人もいれば、20%という人もいる。そして2人とも仕事をしていれば、その割合はその時々で変えることができます。仕事をゼロにしないことで、選択肢は広がるんです。僕は専業主夫の道を選ばざるを得なかった身なので『もしも妻が働けなくなってしまったら……』というリスクとは常に隣合わせだった。パートナーが不調のときは自分が頑張って、自分がつらいときは相手に支えてもらう。そんな夫婦の関係を成立させるためにも、働くことから逃げてはいけないんだと思います」

 

 

 

まとめ

今回は、難病がきっかけで専業主夫になったSさんの人生ドラマを見てみました。

主夫になる過程や日々を生きる中で様々な葛藤や苦しみ、そして通常では味わえない夫婦の絆の深まりや悦びの共有。

世間からはやや偏見の目で見られるという家庭環境の中だからこそ、それを乗り越え幸せを掴んだご夫婦はものすごい精神力だったのではないかと想像できます。

今、若者の中には安易に「結婚したら専業主夫になりたーい」と思っている人も少なくない現状の中、専業主夫への道はそうそう簡単な道ではないんだという覚悟を持っていただきたいなと思います。

ぜひこうした先輩主夫の生き方を参考に、オリジナリティ満載の人生ドラマを歩んでいってみてはいかがでしょうか。