主夫として男として父親として記憶に残る生き方

主夫として男として父親として記憶に残る生き方

父親の泣けるエピソード集

 

父親の存在というのは、母親にくらべると、子供との距離ができてしまいがちですよね。

最近は「イクメン」なんて言葉がでるほど、父親が積極的に子育てする時代になりました。

当然、主夫の方々は世の中のお父さんにくらべて、圧倒的にお子さんたちと過ごす時間が多いです。

それは必然的に、お子さんたちの記憶の中に、父親という登場人物の存在が大きく残るということでもあります。

皆さん自身も、ご自分の父親の記憶はいろいろあって評価もいろいろでしょう。

もちろんいい思い出もあれば、忘れたい思い出もあるかもしれません。

しかし、父親って一生のうち一人しかいないんですよね。

そう考えると現在父親続行中の人も、これから父親になる人も、自分が父親の場合、いったいどんな父親でありたいのか?

また自分が父親だといったいどうなっちゃうのか?(笑)など、あらためて考えてみるためにも、世の中の一般家庭の中に埋もれている伝説の父親たちのエピソードをお届けしたいと思います。

きっと記憶に残ると思いますよ。
(引用元 泣きたいときに見るコピペ naku より)

 

未読メッセージ1件 父ちゃん

俺の父ちゃんは母さんを亡くし、俺と妹を一人だけでずっと育ててくれた。

父ちゃんは会社ではとっても真面目で無口なエリート社員らしいが、家ではいつも明るくしてくれて、母親の愛情を知らない俺たちにたっぷりと愛情を注いでくれた。

父ちゃんはビールが大好きで、酔うともっと明るくなって面白くなって、悪いところがひとつもない、そんな父ちゃんが大好きだった。

そんな毎日が続くある日、父ちゃんが倒れた。

俺はびっくりして、妹と一緒に父さんを急いで病院に連れて行った。

病院について診察室に行くと、「とりあえず検査入院しましょう」と医者に言われた。

検査入院は一週間で、毎日毎日俺たちはお見舞いに行った。

行くたびに父ちゃんは俺たちを笑顔で迎えてくれた。

俺たちがいつもどおりお見舞いに行くと、

『お前らほんまに優しいなぁ。父ちゃんほんま幸せもんやわ』

と言って父ちゃんは涙を流した。

初めて見る父ちゃんの涙・・・。

本当にいい父ちゃんだな・・・。

一週間がたち検査結果が出た。

医者があせってる。

なんか妙な胸騒ぎがした。

医者は話し出した。

『落ち着いて聞いてくださいね・・・あなたたちのお父さんは肺がんです。いろんなところに移転してしまってて・・・もう治ることは無いと思いますし・・・多分もって3、4ヶ月くらいだと思います・・・。』

その言葉を聞いたとき びっくりして動けなかったのは 今でも覚えている・・・。

その後、家に帰って妹と一緒に泣き明かした。

泣いて

泣いて

泣いて

泣いて・・・・・・。

父ちゃんともうすぐお別れと考えるだけで気が狂いそうだった。

そして次の朝、いつものとおり父ちゃんの病室へ行き、父ちゃんの病気のことを告げた。

すると父ちゃんは、一瞬びっくりした顔になったが、すぐに笑顔になりこう言った。

『その病気はお前らには伝染ったりはせんのやな??それはよかったよ。

昨日ベッドでな、私はどうなってもいいですから、息子や娘にまで伝染ったりするような病気だけはやめてください。

私が治って、子供が苦しむような病気だけは絶対にやめてください。

ってずっと祈ってたんやよ。いやぁ神さまっているんやなぁ。』

そう聞き、俺は部屋を飛び出し、トイレでずっと泣いていた。

ずっとずっと・・・。

自分がこんな病気に侵されていても、それでもまだ子供を心配してる俺たちへの愛情に・・・。

どんだけいい父ちゃんなんだよ・・・

父ちゃん・・・

離れたくないわ・・・

余命宣告されてから2ヶ月後、まだ元気な父ちゃんに俺と妹から携帯電話をプレゼントした。

父ちゃんは、『これでお前らともどこ行っても話せるようになるんやなぁ』と言って喜んでくれていた。

父ちゃんはメールのやり方など、必死に覚えてくれて、毎日俺たちに電話してくれてた。

そして余命宣告から3ヶ月と少したったある日、突然医者から電話が入った。

『お父さんの容態が急変しました。いますぐ病院に来てください!』

俺は妹を連れて急いで病院に向かった。

父ちゃん死ぬな!!

そう叫びながら病院に向かった。

病院につき病室の扉をおもいっきり開けると・・・・・

父ちゃんの顔には、白い布がかぶされてあった・・・・・・・・・・・・・・・

その場で泣いた。

本気で泣いた。

倒れこんで泣きじゃくった・・・

父ちゃん父ちゃん・・・・・・

なんで死ぬんだよ・・・

家に帰ると、俺のケータイが光っていた。

未読メッセージ一件:父ちゃん

父ちゃんからのメール??

あれっ!?さっき死んじゃったはずやろ・・・・??

受信した時間を見てみると、驚くことに父ちゃんが死ぬたった14分前だった・・・。

そのメールにはこう書かれていた。

『大輔、友美へ

お前らを残して逝っちまうなんてほんま最低な父ちゃんだよな。

ごめんな。

許してくれ。

大輔、友美。

父ちゃん、お前らの父ちゃんでいれてほんまよかった。

もう死んでも悔いはなんもないわ。

ほんまにありがとうな。

幸せになるんやぞ。』

父ちゃん・・・

死ぬ直前まで俺らのこと考えてくれてたんだ・・・・・。

そして俺は返信を書いた。

『父ちゃんマジでありがとう。

ありがとう。 ありがとう。 ありがとう。 ありがとう。 ありがとう。 ありがとう。 ありがとう。 ありがとう。 ありがとう。

あんたは最高の父ちゃんだよ。

これだけは胸張って言えます。

本当にありがとうね。

天国行っても俺ら見守っててください』

俺は、二度と返信の返ってこないメールをもう一度読み返し、心からのありがとうを込めながら、送信ボタン押した。

 

 

 

心の中で親父に何回も謝りながら泣いた

小1の秋に、母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。

当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらなかった。

また、母親が突然いなくなった寂しさもあいまって、俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしていた。

ひどい時には、焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。

翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。

俺は嫌でたまらず、一口も食べずに、友達にちょっとずつわけてもらったおかずと持っていったお菓子のみで腹を満たした。

弁当の中身は道に捨ててしまった。

家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い、涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で

「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」

と、本当に嬉しそうな声と顔で言った。

俺は、本当のことなんてもちろん言えなかった。

でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。

親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。

さすがに罪悪感を覚えた俺は、気まずさもあって、その夜早々に布団にもぐりこんだ。

でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。

流しのところの電気がついてたので、皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と、遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。

で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。

でも、初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。

結局俺は、また布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。

翌朝、弁当のことや今までのことを謝った。

すると親父は、俺の頭をまたグリグリと撫でてくれた。

俺は、それ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。

そんな親父が、去年死んだ。

病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ、涙と鼻水流しながら

「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」

とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの、微かに笑いつつ頷いてくれた。

弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。

 

 

まとめ

男親って不器用だったり、言葉が少なすぎたりして、なかなか子供に理解してもらえないところがありますよね。

だけど女性とは違う、なんともいえない優しさを秘めていて、人の心に染み渡るようなものを持っていると思います。

理想的な父親になろうとか、いい親であろうとする必要は実はなくて、素のままで妻を愛し、子供を愛し、一生懸命でいるだけで、家族の記憶に鮮明に残るような生き方になってしまうんですね。

自分が父親になった時、また現在父親である時、自分ならではの父親としての生き方があるはずです。

それは言い換えれば、自分らしく家族を愛するということではないでしょうか。

主夫の皆さんは、主夫として、男として、父親として、ぜひ自分らしい生き方を貫いてみてはいかがでしょうか。